見えてしまう時代に、親ができること。——AIは道具であり、責任でもある

「お母さんには言わないで」──ChatGPTが自殺方法を指南→16歳の子供が死去 両親がOpenAIを提訴
https://www.iza.ne.jp/article/20250922-2ZZTZPVPPZOYVDAXTFLX43I2JE/2/
引用元 IT Media News

最近、とても考えさせられるニュースを目にした。
AIに関する出来事だったが、胸に引っかかったのは技術そのものではない。

その子の親は、気づけなかったのだろうか。

もし子どもが自分でアプリをダウンロードしていたのだとしたら、
それは子どもだけの問題ではなく、
親である大人の責任も含まれると、正直思った。

中学3年生と小学6年生の子どもを持つ親として、
このニュースは他人事ではなかった。

AIは便利だ。
使い方次第で、暮らしを快適にし、
人を助け、幸せを生む力を持っている。

でも同時に、
使い方を間違えれば、人を傷つけることも、命に関わる結果を招くこともある。

車や包丁と同じだと思っている。
それ自体が善でも悪でもない。
問題は、どう使うか、誰が使うか、どこまで任せるかだ。

今の時代、
ネットに上がった情報は
「見せない」のではなく、見えてしまう

心が弱っている予備軍の子どもが、
強い言葉や刺激的な情報に引きずられてしまう可能性も、
現実的に存在している。

だからといって、
禁止すれば解決するとは思わない。
むしろ反発を生み、
大人に本音を見せなくなる方が怖い。

自分が選んだのは、
「こんなニュースがあったけど、知ってるか?」と
会話の中に出すことだった。

監視ではなく、観察。
制限ではなく、対話。

そのために一番大切なのは、
日頃の小さな変化に気づけるかどうかだと思っている。

挨拶が減る。
返事が短くなる。
目が合わなくなる。
部屋にこもる時間が増える。

こうした変化は、
大きな事件の前触れとして、
日常の中に静かに現れることが多い。

幸い、今のところ我が家では大きな変化は起きていない。
だからこそ、
起きてから対応するのではなく、起きる前に気づける状態を保ちたい。

昔、兄に言われた言葉がある。

「命がけより、心がけ。心がけより、声掛けやな。」

本当にその通りだと思う。

何を言うかよりも、
毎日、必ず言うこと。

自分は、朝の
「おはよう」
「いってらっしゃい」
この2つだけは、返事があるまで必ず続けている。

声の張り。
声色。
目線。

ほんの小さなことだが、
これは家庭に置くセンサーのようなものだと思っている。

AIの時代になっても、
子どもの変化を察知できるのは、
データでもツールでもなく、人の感覚だ。

AIは魔法ではない。
道具であり、責任でもある。

だからこそ、
便利さだけを追いかけるのではなく、
どう使うかを考え続ける大人でいたい

親として。
仕事をする大人として。

このニュースは、
その覚悟を改めて問い直すきっかけだった。

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